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今日はフランツ・シューベルトの誕生日です。1797年1月31日に、ウィーン9区のヌスドルファー通り54番地に生まれました。亡くなったのは1828年11月19日。
31歳の若さで夭折しましたが、実に1,000曲以上もの作品を残しているわけですから、モーツァルト同様に恐るべき天才だったわけです。 ウィーンに住んでいた時の最初のアパートが生家の近くにあり、毎日前を通っていたものでした。亡くなった4区ケッテンブリュッケンガッセ6番地の家(向かいはエーリッヒ・クライバーの生家だったりします)も、近所に何人かの友人が住んでいるためによく前を通りすぎました。 つまりウィーンに住んでいる多くの人にとって、クラシックを聴く聴かないは別としても、シューベルトという存在はとても身近なものだったわけです。ベートーヴェンのようにおっかなそうな風貌でもないし、親近感わきますよね。 私自身当時は好んでシューベルトを聴いてたのですが、一度日本に帰って以来、さっぱり聴かなくなりました。彼の音楽があまりにも悠長で慎ましやかであるがゆえに、せせこましい日本の生活ではしっくりと馴染まなかったのでしょう。 最近再びここドイツで少しずつシューベルトを聴いています。特にピアノ曲が好きですが、「さすらい人幻想曲D760も」も好んで聴く曲の一つ。それ以前に作曲した歌曲「さすらい人」の旋律を転用しているためにこう名づけられています。詩をちょっと引用してみましょう; “ここでは太陽もこんなに冷たく、 花はしおれ、生命は老いて、虚しき響きを語るのみ。私は何処へ行っても、よそ者だ”暗すぎですね、絶望的ですね、困っちゃいますね、、、でも、、、これがシューベルト! 話は変わりますが、ブログIDは「WANDERER(=さすらい人)」が欲しかったんですがもう使用済みでした。残念。ちなみにhummelx1 も取得出来ず、しょうがなくhummelx2と長いものになってしまいました。(*ハンドルネーム「フンメル」については、05/2/12付け記事で説明しましたのでそちらをご覧下さい)
●ハンブルクのクラシック音楽シーンの中心は、当然の如くムジークハレ(Musikhalle Hamburg)です。ヨハネス・ブラームス広場にあるこのホールは、地元の北ドイツ放送響(NDR)、ハンブルクフィル(オペラ座オーケストラ)の本拠地であり、また頻繁に世界各国からのオーケストラ、ソリスト達のコンサートが頻繁に行われています。
●そのムジークハレの名称が、今月からライスハレ(LAEISZHALLE)に変更になり、1月12日のクレーメル&クレメラータの演奏会前に、ハンブルク州政府により改名セレモニーが行われました。 「LAEISZ」は「LAISS(ライス)」と発音すると説明してましたが、普通のドイツ人でも発音は間違えてしまうようです。新名称が定着するまで少々時間がかかるような気がします。また、例えばギュンター・ヴァント&NDRの数々の名盤でも「ムジークハレ」の名称になっていますし、何故今さら改名の必要があるのか?と個人的には思ってしまうのですが、セレモニー時に配られたパンフレットを読むと、改名にはちゃんと理由があるのでした。 ●ムジークハレの由来は、約100年前、富豪の船主であるカール・ハインリッヒ・ライス(Carl Heinrich Laeisz)が、ハンブルクに威厳のあるコンサートホールの設立する基金創設を遺書に残したのが始まりでした。 未亡人ソフィー・クリスティーネ・ライス夫人が亡き夫の遺志を継ぎ、ハンブルク市庁舎を手がけたことで有名なマルティン・ハラーとエルヴィン・メアヴヴァインに設計を委ねました。1904年に建築がはじまり1908年6月4日ネオバロック様式の堂々たるホールが完成しました。 入口にはライス夫妻の名盤が今でも残っています。そうなのです、設立から1930年代までは、そもそも「ライスハレ」という名称だったのです。どうして30年代にライスハレという名称が消えてしまったかは、”オフィシャル”には不明です。”おそらく”の理由は、創設者の孫エーリッヒ・ライスの夫人フランチスカがユダヤ人であったため、ナチスによって「ライス」の名称が抹消されたということです。 ●ちなみに長年親しまれた「ムジークハレ」の言葉自体は、単にミュージックホールという意味にすぎません。ハンザ商人の町ハンブルクらしい素っ気無い呼び方ですね。 同じ例は、図書館がビブリオテーク(ライブラリー)でなくビュッヒャーハレ(ブックホール)。またムゼウム(ミュージアム)でなくクンストハレ(アートホール)といいます。つまりムジークハレというのは何とも味気ない名称なのです。 ●数年後エルベ川沿いに新しいコンサートホールの建設が予定されています。「エルブ・フィルハーモニー(Elbphilharmonie)」という仮称がありますが、このまま放っておくとハンブルク市民は、二つのコンサートホールを「アルテ(旧)とノイ(新)のムジークハレ」という冴えない呼び方をしかねないという危惧があったようで、おそらくこれが改名の最大の理由でしょう。 まあ名前はどうあれ、20世紀初頭創立時そのままの古色蒼然としたホールで、しかも安価なチケット代で、良質のコンサート楽しめることは、ハンブルク市民にとって幸せなことには変わりないでしょう。 ムジークハレ改めライスハレの公式サイト:http://www.laeiszhalle.de < 前のページ次のページ >
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